Alimento
O alimento é provisão de Deus para o corpo e a alma. Jesus disse: Eu sou o pão da vida. A Bíblia ensina a receber com gratidão, partilhar com generosidade e confiar no Provedor.
O pão da vida
Jesus disse: Eu sou o pão da vida. Quem vem a mim nunca terá fome. O alimento espiritual sacia plenamente.
「わたしが、そのいのちのパンなのです。わたしのところに来る人は、二度と飢えることがありません。わたしを信じる人は、決して渇くことがありません。
食べ物のようになくなってしまうものに心を奪われてはいけません。それよりも、永遠のいのちを手に入れる努力をしなさい。それこそ、メシヤ(救い主)のわたしが与えるものです。そのために、父なる神はわたしをお遣わしになったのです。」
しかしイエスは、お答えになりました。「いいえ。聖書には、『人はただパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』(申命8・3)と書いてある。わたしたちは、神のすべてのことばに従うべきなのです。」
神の前に、正しく良い者になりたいと心から願っている人は幸いです。そういう人の願いは完全にかなえられるからです。
神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。
ですから、食べ物や飲み物、着る物のことで心配してはいけません。いのちのほうが、何を食べ、何を着るかということより、ずっと大事です。
すでに主の恵みといつくしみを経験したのですから、乳を求める赤ん坊のように、熱心にみことばを求めなさい。
Provisão divina
Deus provê alimento em abundância. Ele multiplica pães e peixes, enche os famintos e supre toda necessidade.
そこでイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ、感謝の祈りをささげました。それからパンをちぎり、人々に配るため、弟子たちに手渡されました。 みんなが食べて満腹したあと、パン切れを集めると、なんと十二かごにもなりました。
主は渇いたたましいを潤し、
飢えたたましいを良いもので満たされるからです。
収入の十分の一をすべて倉に携えて来なさい。
そうすれば、
わたしの神殿には食べ物が十分あるようになる。
あなたがたが十分の一をささげれば、
わたしはあなたがたのために天の窓を開いて、
受け止めることができないほどの
祝福をあふれるばかりに注ごう。
試してみなさい。わたしは、そのことを証明しよう。
農夫にまく種を与え、そのあと収穫物を与えてくださる神様は、あなたがたにもまく種を備え、それをふやして、あなたがたに義の収穫の実をもっと与えることができるのです。
惜しげなく人に施しても、
ますます金持ちになる人もあれば、
財布のひもを固く締めても、
一文無しになる人もいます。
物惜しみしない人が裕福になります。
人を潤すことで、自分も潤うのです。
親切なことばははちみつのように甘く、
人々を元気づけます。
ごちそうを食べてお祝いし、貧しい人には施しをする日なのだ。神である主を喜ぶことこそ、あなたがたの力なのだ。しょんぼりと悲しそうにしていてはいけない。」
Gratidão e moderação
Nada trouxemos para o mundo e nada levaremos. Tudo o que fizerdes, fazei para a glória de Deus — inclusive comer e beber.
私たちは、この世に生まれた時、何も身につけていませんでしたし、この世を去る時にも、何も持って行けません。 ですから、食べる物と着る物があれば満足すべきです。
しかし、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。
毎日、神殿で礼拝をし、聖餐の時は、少人数に分かれてめいめいの家に集まり、心から喜びと感謝にあふれて食事を共にし、 心から神を賛美しました。彼らは町中の人に好感をもたれ、神も、救われる人を毎日、仲間に加えてくださいました。
見なさい。わたしは戸の外でたたいています。その呼びかけにこたえて戸を開ける人なら、わたしは中に入って、だれとでも親しく語り合います。そして、互いに楽しい時を過ごすのです。
肉を食べてもよいと思っている人は、食べない人を見下してはいけません。また、食べない人も食べる人を非難してはいけません。神はそのどちらをも受け入れて、ご自分の子どもとしてくださったからです。
そういうわけですから、食べ物や飲み物のことで、あるいはユダヤ教の祭り、新月の儀式、安息日の決まりを守らないなどという問題で、だれにも批評させてはいけません。 それらは、キリストが来られる前にだけ有効であった、一時的な存在にすぎないからです。つまり、キリストという本体の影でしかなかったのです。
ひもじい思いをさせたのも、謙遜を学ばせるためでした。なぜならそのあとで、マナという見たこともない食べ物を下さり、人はただパンだけで生きるのではなく、神の命令を守ることによって真に生きるのだということを教えてくださったからです。
水中の動物では、ひれとうろこのあるものは食べてかまいません。 それ以外はみな汚れたものです。
全地に生える種のある植物を見てみなさい。みなあなたがたのものだ。実のなる木もすべて与えるから、好きなだけ食べるがいい。
「野の獣と鳥と魚はみな、あなたたちを恐れるようになるだろう。あなたたちは動物を治めなさい。穀物と野菜のほかに動物も食用として与えよう。 しかし、いのちの源である血をすっかり抜き取ったあとでなければ、食べてはならない。
その間ずっと、ぶどう酒も肉も、甘いものさえも口にすることはありませんでした。体を洗ったり、ひげを剃ったり、髪を梳いたりもしませんでした。
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