Corpo
O corpo é templo do Espírito Santo. A Bíblia ensina a cuidar do corpo com responsabilidade, moderação e respeito — honrando a Deus com nosso ser integral.
Templo do Espírito
Vosso corpo é templo do Espírito Santo. Glorificai a Deus no vosso corpo — ele não é vosso, foi comprado por preço.
体は、神様があなたがたに与えてくださった聖霊の家であって、聖霊がそこに住んでおられるのです。あなたがたの体は、自分のものではありません。 神様が多額の代価を払って、あなたがたを買い取ってくださったのです。ですから、あなたがたの体のどの部分も、神の栄光を現すために用いなさい。その所有者は神だからです。
自分の体をむち打ってきびしく鍛練し、なすべきことができるよう訓練しています。そうでないと、ほかの人たちを競技に参加させておきながら、自分は失格者として退場を命じられるかもしれないからです。
そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また福音を宣べ伝えるために火あぶりの刑を受けても、愛がなければ、何の価値もありません。
私たちはそれぞれ、キリストの体の一部です。ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。しかし聖霊は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。私たちは、ただひとりの聖霊によって、キリストの体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな同じ神の霊を与えられているのです。
人の体には多くの器官があるのと同じように、キリストの体である教会にも、多くの器官があります。私たちはみな、キリストの体の各器官です。その体が形造られるには、私たちが必要です。というのは、それぞれが異なった役割を果たすからです。ですから、私たちは互いに依存し合っており、だれもがほかのすべての人を必要としているのです。
Cuidar do corpo
O exercício físico é proveitoso, mas a piedade tem promessa para a vida presente e futura. Cuide do corpo com sabedoria.
体の訓練も大いにけっこうですが、霊の訓練はさらに大切であり、あらゆる行動の原動力になるのです。ですから、あなたは霊の訓練に励み、もっとすぐれたクリスチャンを目指しなさい。そうすることは、今の地上の生活のためだけでなく、未来の生活にも役立つからです。
心が陽気になれば体も健康になり、
気がふさげば病気になります。
親切なことばははちみつのように甘く、
人々を元気づけます。
自分の知恵を過信してはいけません。
むしろ主に信頼して、
悪の道から離れなさい。
心も体もみずみずしく元気がみなぎります。
神は、精巧に私の体のすべての器官を造り、
母の胎内で組み立ててくださいました。
こんなにも複雑かつ緻密に
仕上げてくださったことを感謝します。
想像することもできないくらい、すばらしいことです。
あなたのわざは驚くべきもので、
私にはとうてい、理解することはできません。
やがて私の体は衰え、気力も弱ります。
しかし神は、いつまでも変わらず、
心の支えとなってくださいます。
永久に私の神でいてくださいます。
ああ神よ。いったいどこにおられるのですか。
一滴の水もない、からからの荒れ地で、
私は必死になって神を慕い求めています。
Corpo e espírito
O espírito está pronto, mas a carne é fraca. Não vos preocupeis com o corpo — a vida é mais do que alimento.
油断しないで、いつも祈っていなさい。さもないと誘惑に負けてしまいます。あなたがたの心は燃えていても、肉体はとても弱いのですから。」
ですから、もしあなたの目が情欲を引き起こすなら、その目をえぐり出して捨てなさい。体の一部を失っても、体全体が地獄に投げ込まれるより、よっぽどましです。
ですから、食べ物や飲み物、着る物のことで心配してはいけません。いのちのほうが、何を食べ、何を着るかということより、ずっと大事です。
体だけは殺せても、たましいには指一本ふれることもできないような人々を、恐れてはいけません。たましいも体も地獄に落とすことのできる神だけを恐れなさい。
神を恐れなさい
そのうちに、群衆の数はますますふくれ上がり、足の踏み場もない有様です。イエスはまず、弟子たちに警告なさいました。「何よりも、パリサイ人の偽善ぶりに注意しなさい。ほんとうは悪いことをたくらんでいるのに善人ぶる者たちのやり方に、ごまかされてはいけません。 しかし、そういう偽善は、いつまでも隠しおおせるものではありません。やがてパン種(パンの製造に使用する酵母)のようにふくれ始め、だれの目にもはっきりします。 暗闇にまぎれて言ったことがみな、明るみで聞かれ、奥の部屋でささやいたことが屋上から大声で宣伝されるのです。
親しい友よ。体を殺しても、たましいには指一本ふれることができない者たちを恐れてはいけません。 ほんとうに恐れなければならない方を教えましょう。殺した後に、地獄に投げ込む力を持っておられる神を恐れなさい。神こそ、ほんとうに恐れなければならない方です。 雀五羽はいったい、いくらで売られていますか。たったの二アサリオン(一日分の賃金一デナリの八分の一)ではありませんか。こんな雀の一羽でさえ、神はお見捨てにならないのです。 それどころか、あなたがたの髪の毛の数さえご存じです。だから、恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりはるかに価値があるのですから。 次のことをはっきりさせておきましょう。この地上で、わたしを友とはっきり認める人を、メシヤであるわたしも、天使の前で、確かにわたしの友だと認めます。 だが、もし人前でわたしを知らないと言うなら、わたしも天使の前で、こんな人は見覚えもないと言います。 たとえ、わたしに逆らっても赦されます。しかし、聖霊を汚す者は絶対に赦されないのです。 裁判を受けるために役人や会堂の権力者たちの前に引き出されても、どう釈明しようかなどと心配してはいけません。 聖霊が、時にかなったことばを教えてくださるからです。」
その時、群衆の中から一人の男が叫びました。「先生! どうぞ兄に、父の遺産を分けてくれるよう言ってください。」 「だれがわたしを、そんなことの裁判官にしたのですか。」 続けてイエスは群衆に言われました。「貪欲にはくれぐれも注意しなさい。どんな金持ちでも、人のいのちは財産とは無関係なのですから。」
それからイエスは、たとえ話を一つなさいました。「ある金持ちが、良い作物のとれる肥えた畑を持っていました。 倉はいっぱいで、収穫物を全部納めきれないほどです。あれこれ考えたあげく、うまい考えを思いつきました。 『こうすればいい。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建てる。そうすれば、作物を全部納められる。』 ひとり満足した金持ちは、われとわが身に言い聞かせたのです。『もう何も心配はいらないぞ。これから先何年分もの食料がたっぷりある。さあ、食べて、飲んで、楽しくやろう。』 しかし神は、こう言われました。『愚か者よ! あなたのいのちは、今夜にもなくなる。そうしたら、ここにある物は、いったいだれのものになるのか。』 いいですか。この地上でいくらため込んでも、天国に財産を持っていない者は、愚か者なのです。」
それからまた、弟子たちのほうを向き、先を続けられました。「ですから、言っておきましょう。食べ物は十分か、着る物はあるか、といったことでいちいち心配するのはやめなさい。 人のいのちは、食べ物や着る物よりどれだけ価値があるか知れないのです。 からすを見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉を持っているわけでもありません。それでもゆうゆうと構えていられるのは、神が養ってくださるからです。神の目には、からすなどより、あなたがたのほうが大切なのです。 それに、くよくよしたところで、どうにもなりません。心配すれば、寿命が一日でも延びるのですか。 こんな小さなことさえできない者が、もっと大きなことを心配したところで何になるでしょう。
ゆりの花を見なさい。どうして育つのでしょう。紡いだり、織ったりするわけではありません。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花ほど着飾ってはいませんでした。 今日は咲き誇っていても、明日はしぼんでしまう花でさえ、神はこのように装ってくださるのです。そうだとしたら、疑い深い人たちよ、神がどんなに良くしてくださるかとは考えないのですか。 何を食べようか、何を飲もうかと心配をするのはやめなさい。神が用意してくださるのに、思いわずらってはいけません。 人は毎日のパンのためにあくせく働きますが、天の父は、あなたがたが必要なものをすべてご存じなのです。 神の国を第一に考えるなら、神は私たちに必要なものを毎日与えてくださるのです。
また、たとえ少数派でも恐れることはありません。神は喜んで、あなたがたを神の国に導いてくださるのです。 持ち物を売り払って、貧しい人たちに分けてあげなさい。そうすれば、天にある財布はふくらんで、はち切れそうになること間違いありません。ところが、この財布は破れもしなければ、穴があくこともないから、財産がなくなることは絶対にありません。どろぼうに盗まれることも、虫に食われる心配もありません。 宝のある所に、自分の心と思いもあるのです。
神に忠実な人は
きちんと身じたくを整え、あかりをともしていなさい。 主人が婚礼から戻るのを待っている人のように。こうしていれば、主人がノックすると同時に、戸を開けて迎えることができます。 そのように忠実な姿を見られる人は幸いです。主人は感心して、食卓で、反対に自分のほうから給仕してくれるでしょう。 主人の帰りは夜の九時になるか、真夜中になるかわかりません。しかし、いつ帰って来てもいいように準備のできている人は幸いです。 どろぼうがいつ入るかわかっていれば、家人は、てぐすね引いて待ちかまえているでしょう。同様に、主人の帰りが何時ごろかはっきりわかっていれば、準備をして待つのはあたりまえです。 だから、いつでも用意していなさい。メシヤのわたしは、思いがけない時に来るのです。」
ペテロが、いぶかしげに尋ねました。「主よ。今のお話は、私たちにだけ話されたのですか。それとも、ここにいるみんなのためなのですか。」 イエスは、お答えになりました。「では、こう言えばわかるでしょうか。主人の留守中、ほかの召使たちの面倒を見る責任を負わされた、忠実で賢い人たちに話しているのです。主人が戻った時、かいがいしく働いているところを見られるなら、ほんとうに幸いです。主人から全財産を任されることになるでしょう。 ところが、『主人はまだまだお帰りになるまい』とたかをくくり、召使たちを打ちたたき、食べたり飲んだりしていたらどうでしょう。 主人は出し抜けに帰って来て、この有様を見ます。不届き者は、責任ある地位からはずされ、不忠実な者と同じ仕事につけられるのでしょう。 自分の義務を心得ながら、果たそうとしなかった罰です。 しかし、自分でも気がつかないうちに悪いことをした人の罰は、軽くてすみます。だれでも多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されるのです。
わたしは、この地上に火を投げ込むために来ました。ああ、この仕事がもうすでに終わっていたらよかったのですが。 しかし、わたしには受けるべきバプテスマ(洗礼)が待っています。それが成し遂げられるまで、どんなに苦しむことでしょう。 このわたしが、地上に平和を与えるために来たと思っているとしたら、そうではありません。それどころか、争いと分裂を引き起こすために来たのです。 今から後、家庭内に分裂が生じるでしょう。五人家族であれば、三人対二人というように、わたしに賛成するか反対するかで分かれて争うことになります。 わたしのことで、息子は父に逆らうでしょう。母と娘は一致しなくなり、しゅうとめも嫁に退けられるでしょう。」
群衆にもこう語られました。「あなたがたは天気を予測するのがとても上手です。西の空に雲がわき上がれば、『にわか雨が来る』と言い、まさにそのとおりになります。 また南風が吹けば、『ひどく暑い日になるぞ』と言い、それもまた予測どおりになるのです。 偽善者たちよ! これほど上手に空模様を見分けられるのに、目前に迫る危機については少しの注意もはらおうとしないのですか。 どうして、何が正しいかを見分けようとしないのですか。 裁判所へ行く途中、あなたを訴える人と出会ったら、裁判官の前に出るまでに、問題を解決するよう努力しなさい。さもないと、牢獄に入れられてしまいます。 そうなったら、最後の一レプタ(最小単位の銅貨)まで罰金を払いきらなければ、出してもらえないのです。」
だから、悲しみと痛みを取り除きなさい。しかし、これから長い人生が待ち受けている若い日にも、過ちを犯してしまうことを忘れてはいけません。
União e harmonia
O corpo é um só, mas tem muitos membros. Cristo é a cabeça; a paz de Cristo governe em vossos corações.
それぞれに与えられた能力
私たちはみな、一つの体の各器官です。だれもが同じ御霊を与えられ、同じ輝かしい未来へと招かれています。
妻は、主に従うように夫に従いなさい。 なぜなら、キリストの体である教会がキリストにゆだねられているように、妻は夫にゆだねられているからです。
キリストにある平和が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。そうすることが、キリストの体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。また、いつも感謝していなさい。
その骨で女を造り、彼のところへ連れて来ました。 「ああ、これはすばらしい!」アダムは思わず叫びました。「私の骨と私の肉から造られた、まさに私の一部です。そうだ、『男』から造ったのだから、『女』と呼ぶことにします。」 人が両親のもとを離れて妻と結ばれ、二人が一体となるのはこうした背景があるのです。
ですから、私たちは決して落胆しません。肉体はしだいに衰えますが、うちにある力は日ごとに強くなっていきます。
キリストは、私たちの罪をその身に負って、十字架上で死んでくださいました。そのおかげで、私たちは罪から離れ、正しい生活を始めることができたのです。キリストが傷つくことによって、私たちの傷はいやされました。
また、ことばを制御できる人は、すべての点で自分を完全に制することができる人です。
Este artigo te tocou? Faça uma oração!
+581 estão orando agora.
Junte-se à corrente de oração.