Morte de Jesus
A morte de Jesus é o sacrifício supremo do amor de Deus. Na cruz, o Cordeiro de Deus carregou os pecados do mundo, satisfez a justiça divina e abriu o caminho da salvação para todos.
O sacrifício na cruz
Jesus disse: 'Está consumado!' Na cruz, Ele cumpriu toda a lei, pagou o preço do pecado e reconciliou a humanidade com Deus.
こうして、何もかもすっかり終わったことを知ったイエスは、「わたしは渇く」と言われました。これも聖書のことばどおりの出来事です。 そこには、ちょうど酸っぱいぶどう酒のつぼが置いてありました。人々は海綿を浸し、ヒソプの枝の先につけて、イエスの口もとに差し出しました。 それをお受けになると、最後に、「すべて成し遂げた」とひとこと叫び、頭を垂れて息を引きとられたのです。
さて、イエスを十字架につけてしまうと、兵士たちははぎ取った着物を四つに分け、一つずつ取りました。下着もそうしようとしましたが、見ると縫い目がありません。 「こいつは裂くわけにいかないな。よし、だれが取るか、くじで決めよう」と話がまとまりました。「彼らはわたしの着物を分け合い、下着をくじ引きにした」(詩篇22・18)という聖書のことばどおりになったのです。 兵士たちがこんなやり方をしたのも、聖書のことばが実現するためでした。十字架のそばには、イエスの母マリヤ、おば、クロパの妻マリヤ、マグダラのマリヤが立っていました。 イエスに愛された弟子の私(ヨハネ)もいっしょでした。イエスは、私と、私のそばに立ち尽くしているご自分の母親とを見つめ、「お母さん。ほら、そこにあなたの息子がいますよ」と声をかけられました。 それから、弟子の私に、「さあ、あなたの母ですよ」とおっしゃいました。その時以来、私は先生のお母さんを家に引き取ったのです。
イエスだけでなく、ほかに二人の犯罪人が、「どくろ」と呼ばれる場所で処刑されるために、引いて行かれました。刑場に着くと、三人は十字架につけられました。イエスが真ん中に、二人はその両側に。 その時、イエスはこう言われました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分たちが何をしているのかわかっていないのです。」兵士たちがさいころを投げて、イエスの着物を分け合うのを、 民衆はそばに立ってながめていました。一方、ユダヤ人の指導者たちもイエスをあざけり、「他人ばかり助けて、このざまは何だ。ほんとうに神に選ばれたメシヤなら、自分を救ってみろ!」と言いました。 兵士たちは、酸っぱいぶどう酒を差し出しながら、 「ユダヤ人の王様なら、自分を救ったらどうだ!」とからかいました。 十字架のイエスの頭上には、「これはユダヤ人の王」と書いた罪状書きが掲げてありました。
イエスの横で十字架につけられていた犯罪人の一人が、「あんたはメシヤなんだってなあ。だったら、自分とおれたちを救ってもよさそうなもんだ。どうなんだ」とののしりました。 しかし、もう一人の犯罪人は、それをたしなめました。「この期に及んで、まだ神を恐れないのか! おれたちは悪事を働いたんだから、報いを受けるのはあたりまえだ。だが、このお方は悪いことは何もしなかったのだ。」 そして、イエスにこう頼みました。「イエス様。御国に入る時、どうぞ私を思い出してください。」 イエスはお答えになりました。「あなたは今日、わたしといっしょにパラダイス(天国)に入ります。」
さて正午になったころ、あたりが急に暗くなり、一面の闇におおわれました。それが三時間も続きました。 三時ごろイエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。
すると、神殿の至聖所を仕切っていた幕が、上から下まで真っ二つに裂けたのです。大地は揺れ動き、岩はくずれました。 さらに墓が開いて、生前神に従っていた多くの人たちが生き返りました。 彼らはイエスが復活されたあと、墓を出てエルサレムに入り、多くの人の前に姿を現したのです。
十字架のそばにいた隊長や兵士たちは、このすさまじい地震やいろいろの出来事を見て震え上がり、「この人はほんとうに神の子だった!」と叫びました。
しかし、私たちの罪のために傷つき、
血を流したのです。
彼は私たちに平安を与えようとして、
進んで懲らしめを受けました。
彼がむち打たれたので、私たちはいやされました。
私たちは神の道を離れ、
羊のようにさまよい出て、
自分勝手な道を歩いてきました。
しかし神は、私たち一人一人の罪を
彼に負わせたのです。
彼は痛めつけられ、苦しみ悩みました。
それでも、ひと言も語りませんでした。
子羊のようにおとなしくほふり場へ引いて行かれ、
毛を刈り取られる羊のように、
非難を浴びせる者たちの前に黙って立ちました。
徒党を組んだ悪人どもが、
群がる野犬のように私を取り巻きます。
私の手足は引き裂かれています。
自分の骨を、一本残らず数えることができるほどです。
私を見てはほくそ笑む、
この悪人どもをごらんください。
彼らはくじ引きで、私の着物を分け合うのです。
私を見ると、だれもがあざけり、
冷笑し、肩をすくめます。
彼らは、こう言って笑います。
「これが、主に重荷を肩代わりしてもらった
という男なのか。
主のお気に入りだとうぬぼれていたやつか。
主に助け出されるところを
見せてもらおうではないか。
そうしたら信じてやってもいい。」
O amor que se entrega
Ninguém tem maior amor do que aquele que dá a vida pelos amigos. Deus prova seu amor em que Cristo morreu por nós quando ainda éramos pecadores.
愛は何によって測ることができるでしょう。友のためにいのちを投げ出すこと、これより大きな愛はありません。
実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。
私たちが神の敵であった時でさえ、ひとり子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいですから、私たちが神の友となり、神が私たちのうちに生きておられる今は、どんなにかすばらしい祝福が備えられていることでしょう。
キリストは、私たちのために進んでいのちを捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知ったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
そして、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪に対する神の怒りを一身に引き受け、神との関係を回復させてくださいました。
そればかりか、さらに自分を低くし、犯罪人と同じようになって十字架上で死なれたのです。
Morte e ressurreição
Jesus morreu e ressuscitou, e a morte não mais tem domínio sobre Ele. Pelo batismo, participamos de sua morte e ressurreição.
キリストは死者の中から復活されたので、もう二度と死ぬことはありません。死には、もはやキリストを支配する力がないのです。 キリストは、罪の力にとどめを刺すために、ただ一度死なれました。しかし今では、神との絶えることのない交わりの中に生きておられます。
もちろん、絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだのに、どうしてなお罪の中に生きていられるでしょうか。私たちがバプテスマ(洗礼)を受けてキリスト・イエスに結び合わされた時、罪の支配力は打ち破られてしまったのです。 すなわち、罪を愛する古い性質は、キリストの死によって、キリストと共に葬り去られました。そして、父なる神が、栄光の力でキリストを復活させてくださった時、私たちはキリストの新しいいのちを与えられ、そのいのちに生きる者となりました。
人間には、一度だけ死んで、その後さばきを受けることが定められているように、 キリストも、多くの人の罪のためにご自身をささげて、一度だけ死なれました。そして、もう一度おいでになりますが、今度は罪を取り除くためではありません。その時は、彼を待ち望んでいるすべての人の救いを完成させるために来られるのです。
ああ、皆さん。これから申し上げることを聞いてください。よくご存じのように、ナザレのイエスは、あなたがたの前で、力ある奇跡を行われました。神様はそれによって、だれにもはっきりわかるように、イエス様の身元を保証なさったのです。 神様はあらかじめ計画したとおり、この方を、あなたがたの手でローマ政府に引き渡し、十字架で処刑することをお許しになりました。 そうした上で、この方を死の苦しみから解放し、復活させたのです。この方が、ずっと死んだままでいることなど、ありえないことだからです。
わたしはまた、良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のためにはいのちも捨てます。
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、「主は私たちのために死んでくださった」という主の死の意味を、くり返し告白するわけです。主が再び来られる時まで続けなさい。
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